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をぢさんっ★ 2004.9.17

をぢさんっ★のよもやまっ!7

♪オリンピックの顔と顔っ♪ ほ〜れっ シャシャンとシャシャンと顔と顔っ♪
(あ 懐かしすぎて分からない?)

女子レスリングは金・銀・銅とそれぞれ獲得し、柔道でも(井上は残念でしたが)
鈴木が金を奪取。いや〜、盛り上がりましたねぇ。 \(^▽^ )/

……しかし、「○○ジャパン」と名付けられたトコは、ほとんど期待外れに終わってしまったようで、ちょと残念。 
ほんと、マスコミが煽りすぎですって。
さいわいアテネはメダルラッシュでしたが、オリンピックで日本は「メダル当たり前」と言われなくなってから、もう、何年経つのでしょうか?
……特に柔道。  実は黒帯の「をぢさんっ」ですっ。 さぁ!今回は柔道です。

『柔道の国際ルールにモノ申したいのよっ!』

オリンピックも終わってしまったんですが、実はこの原稿は以前より書き溜めていて、今、投稿しないと時期を逃してしまいそうなので、あわただしく投稿の運びとなりました。(‐。‐;)

さっそくですが、僕は現在のスポーツとしての競技の「柔道」を危惧しています。
「あれは柔道ではない」とは言いませんが……少なくとも、オリンピックや国際大会で行われている「国際ルール柔道」は馴染めません。(掲?ヲ板にも書きましたが…)
僕が国際ルールの気に入らない点は以下の通りです。

1. もともと、「一本」と「技あり」だけだったものに「有効」「効果」などの優劣勝敗を決めるための決まり手をふやした。
2. 道着を白と青にして、審判や観客が見やすいようにした。
3. ほんの少しでも膠着しそうになるとすぐ審判が「待て」
4. 道着が脱げそうになっていても、審判が正さない
5. オリンピックに無差別級がない

1, については勝敗の決着に固執するがゆえ?他の格闘技では当たり前である
ポイント制ではないために差をつけやすくしたのでしょう。
しかし、僕に言わせれば「姑息」な考えとしか思えません。(-_- ;)
柔道の「一本」は武道であるがゆえ、そこが地面(路上や土の上)であったなら、立ち上がる事ができないほどの投げ技が決まった時にこそ本当の「一本」であるはずです。
そして「技あり」は、相手が動くことができない程ではないが、
そのまま押さえ込みなどに移行できる残心を持ちつつ、次の攻め手にすぐ移れる体勢を残したものが「技あり」だと、僕の柔道の師匠は言っていました。

2, は武道としては言語道断だろ?というのが僕の意見です。
武道ではもともと道着に色が付いている流派は珍しくありません。
しかし、それは色分けして試合を見やすくするという、「試合ありき」の考えから起きたものではないからです。その試合を主とする考え方が間違っていると思うのですよ。
古武道などでは「茶色」がもっとも尊い色として、宗家しか着用を許されていない流派がたくさん存在します。だから色分けはしちゃいけないって事はありません。
しかし、それはあくまで技術の上達度や立場をわかりやすくするためです。
「試し合い・試合・死合い」には本来、観客はいません。青コーナーや赤コーナーがある試合は武道とは言えないのではないでしょうか。
また、色で分けなければ、どっちが技をかけたか見間違えるのだとすると、審判の技量に問題があるとしか言いようがありません。
ここまでカラフルにするなら、いっそスモークを焚いた花道からテーマ曲に乗って入場するようにしちまえばいいじゃん?

3, は柔術やバーリトゥードをごらんの皆さんなら分かるでしょ?
武道や現実的な格闘技では当たり前の技術であるグラウンドの攻防が国際ルール柔道は非常に少ない。
国際ルール柔道は寝技を嫌うのです。(僕の多少の偏見が入っているのは認めます)
たぶん、「押さえ込み」が30秒で一本なのかが分からないからだと思うのですが、ブラジリアン柔術やサンボでは「押さえ込み」という概念はありません。
30秒も動かないように押さえ込むなら、関節技や絞め技のほうが現実的だという考えが一般的だと思います。
しかし、古武道では押さえ込む事で自由を奪い、いつでも相手の命を奪える状態にして、相手を屈服させるという慈悲の姿勢があるのです。
ただ勝つだけではなく相手を改心させて勝つ。相手を殺せる体勢だが、殺さずに負けを認めさせて勝負を決する。「押さえ込み」はそんな武道精神の表れといえましょう。
古流に限らず柔の理念は「活殺自在」「柔に殺なし」といわれます。

4, ですが、柔道では道着を掴んで投げる事が前提となっているため、道着がはだけてしまえば掴みにくくなり有利になるのです。
「常に同じ条件にしろ。」とは言いませんが、相手に掴みにくくするため、自分から襟の辺りを緩める選手がいるのはいただけません。問題です。柔道は『礼に始まり、礼に終わる』のですから。
スポーツ柔道として公平を大上段に掲げるのなら、審判は当然、これをさせちゃいけないくらいの事はわかっていてほしい。

5, これは柔道という武道をレスリングやボクシングと同じ視線に立ってみてしまったからに他なりません。
「柔よく剛を制す」は柔道の基本理念です。子供でも大男を投げ飛ばせなければ武道とは言えないとおもいます。
…もっとも現代の国際ルールの柔道においては小さい者は大きい者に勝てないらしい。…これは、物理の法則と同じくらいの厳然たる事実であるそうな。
ところが柔術ならやれるそうです。理由は関節技と当て身があるから。柔道の創設者たる嘉納治五郎は、このふたつを削除し、代わりに危険の少ないスポーツとして広範な大衆性を確保したんですね。
もっとも柔道だって、当て身や関節技がまったくないわけではなく、危険度の少ない関節技は有効だし、当て身に至っては今でも高段者の型にはちゃ〜んと入っている。
それどころか高段者の必須になっている講道館護身術には「徒手対刃物」・「徒手対拳銃」なんてのまである。
しかし、型のみになってしまっているものも多々ある訳で…スポーツ柔道では現実的ではないと考えたのかもしれないですね。
だからと言って勝てないからやらないのではなく、勝てないなりに工夫したりして、「柔よく剛を制す」を実践してきた柔道家もいるのを忘れないでほしいのです。
技術が伝統を支えて発展するのが正しい姿であってほしい。…願望ですが。

いろいろ書いてみましたが僕の偏見も大いに混ざっているのは否めません。
柔道を国際的スポーツとして観るのであれば、これは致し方ないのかもしれませんが。
何とか武道としての牙を失くさないような体勢のまま、国際的なスタンスを保つことはできないのでしょうかねぇ。

みなさんはどう思いますか?


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