お気楽格闘技サークル 草格斗技塾MARS
home > 草格斗技通信 > まっちん「プロレス観戦入門」

まっちん 2003.3.1

プロレス観戦入門

彼が傷ついている。卑怯な魔の手によって。
彼が横たわっている。痛烈な一撃によって。
「もう動かないのか?もう終わりなのか?」 我々の悲鳴が固唾を飲む・・・。

しかし、彼は立ち上がる。彼の心が折れない限り。
そして、彼は立ち向かう。彼に後押しの声がある限り。
プロレスという四角いリングの中を駆け回り、我々は心に焼印をされる、彼の勇士を、彼の熱い戦いを・・・。

彼の名はタイガーマスク - 。

プロレス。格闘技という旗印の下(もと)に、相手の意志をねじ伏せるパワーを鍛えあげ、必殺の技に磨きをかけた屈強の戦士が戦う。
自らの体を時には盾とし、時には矛とする。
汗を流し、血を流す。裏切り、共鳴、悲しみ、喜び・・・。人生の圧縮図がそこにはある。
そしてプロレスは、打撃、投げ、締め、といったあらゆる格闘技の要素を含む。

そんなプロレスが他の格闘技と一線を画すところ、それは圧倒的な範疇(はんちゅう)だ。
他の格闘技に使われる要素のほとんどを使い、他の格闘技には使われない技を見せてくれる。
プロレスにも例外なくルールがあるが、カウント5までならルールを超える攻撃すら許される。
それは道具を使った攻撃まである。木槌、椅子、机、鉄線、あらゆる反則がまかり通る。一方では反則として禁止しておきながらも、しかしもう一方では反則も許してしまう矛盾、他の格闘技には見られない。これがプロレスたる所以だ。

そして、プロレスは単に強さのみを追求した競技ではない。魅せる格闘技だ。
それはプロ野球やプロサッカーと同じ要素を持つ。「また見に行きたい」、「また応援したい」、そう思わせることも重要な要素。それゆえ、いかに難易度の高い技ができようとも、いかに他の誰よりも力を誇示したとしてもそれが我々見ている側の目を鷲掴みにできないならばそこにプロレスは存在し得ない。
見ている者の興味を刺激する、見ている者の心をくすぐって躍動させてやる、それがプロレスの魅力なのだ。

よって、彼らにはあることが宿命付けられた。それは相手の技を受けなければならないということ。 相手を真っ向から受け入れ、そしてそれをはね返す。そこには相手の技量に耐えられるだけの技術や体力、そして度量が求められる。ゆえに、彼らは真剣だ。技を受けるからこそ真剣でなければならない。さもなくば相手の技を受け止めることなどできなし、また技を受け止めるべく鍛えた体にダメージを与えることなどできない。
だから、彼らには怪我が絶えないし、時には致命的な事故を起こすこともある。しかし、彼らはやめない。彼らこそプロレスに魅せられた者であり、プロレスの体現者であり、プロレスへの道しるべなのだから。 そんな彼らに導かれたプロレスファンが、今日もどこかできっと産声をあげていることだろう。


そして、-------------------

傷ついた彼が拳を挙げている。彼は勝ったのだ。
そして彼はずっと勝ち続けた。我々の期待に応えるために。
そんな彼はすでにいない。
あの頃、彼とともに生き抜いた仲間も、そして、支えあったライバルも。
しかし、彼の思い出は決して色あせない。
そう、今日も彼は輝きつづける。我々の心のキャンバスに。
そして、心に彼の躍動を描いた者のなかには彼と同じ道を歩むものもいる。
彼が心の中で生き続ける限り、我々の夢に終わりはない。
        

草格斗技通信に戻る

トップページへ戻る